性同一性障害(GID)を自覚したとき

LGBT当事者orアライによるレポート。今回は性同一性障害(GID)を自覚したときです。

私が性別に違和感を覚えたのは小学校高学年の頃でした。
といっても、幼少期からずっと何の戸惑いもなく自分は男であると思って過ごしてきたのですが、そういった意味では女の子として振る舞った時期というのは無かったと思います。
服装も、遊びも言葉遣いも全てが男でした。海で遊ぶ時も、BBQなどで花火をする時にも上半身は裸で過ごしていました。

まだ幼かったからか、周りの大人たちも何も言わなかった記憶があります。しかし、成長するにつれて段々と「スカートを穿いたら?」「髪を伸ばしてみたら?」などと、友達や先生から言われ始め、身体的にも女性としての特徴が出始めた頃、自分はみんなと違うのかもしれない。と思うようになっていきました。

そして自分が女性であると決定的に気づかされたのは、初潮を迎えた事が大きなきっかけでした。初めは何が起こっているのか意味が分からず、
何かの病気ではないか、ケガをしてしまったのかと戸惑いながら、母親に相談するとそれが女性に起こる生理であることを説明され、頭がパニックになったのを覚えています。

NEXT 男女で分けられる制服に抵抗感を感じた

パスポートで男女どちらでもない性別を表記できる国 オーストラリアとネパールの場合

LGBT当事者の中には、性別欄において男女どちらを選ぶべきか悩んでしまうという人もいます。
今回は、パスポートの性別欄で男女以外を選べる国について紹介します。

世界初、第三の性別表記を試行したオーストラリア

2011年、オーストラリアはパスポートにおいて第三の性別表記について定めた法律を世界で初めて施行しました。

パスポート発行の際、Xジェンダーやインターセックスなど、男女のどちらでもない性別を持つ人は性別表記を「X」と表記することが可能になりました。

一方でトランスジェンダーの場合は、「X」を選ぶことはできません。
しかし、医師の診断書があれば心の性を選ぶことが可能です。

オーストラリアパスポートの性別表記については、ポジティブな意見もありますが、ネガティブな意見もあるそうです。
それは、そもそも性別を表記する必要があるのか、Xと表記することで逆に差別を助長するのではないか、等です。

NEXT→ ネパールでは男女どちらでもない表記が可能

セクシュアリティをオープンにするカミングアウト動画

カミングアウトするかしないか、誰にいつするか、どのような伝え方をすればいいか…

カミングアウトに関して悩みを抱えるLGBT当事者は少なくありません。

今回は、自分のセクシュアリティについて語るカミングアウト動画を紹介します。
こういった動画をみることで「勇気を持てた」という感想も多くよせられています。

17歳のカミングアウト

オーストラリアの歌手トロイ・シヴァンは、17歳のときにyoutubeでゲイであることをカミングアウトしました。
動画では、なぜカミングアウトしようと思ったのかなどを、語っています。

詳しくはこちら
https://nijipi.lgbt/life/1330

12歳のトランスジェンダーの児童によるスピーチ

アメリカの12歳のトランスジェンダーの児童が学校内で、性的マイノリティに対する平等を求めるスピーチを職員にしました。

詳しくはこちら
https://nijipi.lgbt/life/1657

レズビアンカップルに育てられた男性のスピーチ

この動画に登場する男性は、レズビアンカップルに育てられました。
偏見を持たれることもありますが、彼の毅然とした話し方は非常に印象的です。

詳しくはこちら
https://nijipi.lgbt/life/1998

トランスジェンダーの子どもを持つ母親のスピーチ

今回はトランスジェンダーの子どもを持つ母親、デビーさんのスピーチをご紹介します。

デビーさんの娘さんは生物学的には男として生まれましたが、3歳の時から女のこの服を着たがったりしたそうです。
このスピーチの後半ではトランスジェンダーに対して偏見を持つ人たちからよく寄せられる6つの質問の紹介を元に話をしています。

6つの質問にこう回答しています。

1.「おまえたち一家はリベラル派で、ゲイのアジェンダを推し進めているのだ」
いいえ、わたしは保守的な南バプティスト派で、共和党支持で、アラバマ出身です。

2.「女の子が欲しかったから子供を女にしたんだろう」
いいえ、ぜひぜひ男の子が欲しいと思ってました。この現代社会で女の子を育てるだなんて、死ぬほど怖いので。

女の子をちゃんと扱える男の子を育てることの方が、悪ガキとばかりデートしたがる女の子を育てることより、よっぽど責任が持てたと思っています。

3.「子供には自分が何になりたいかとか、本当の自分は何かなんてわからない。うちの子は犬になりたいと言っているが、そうさせるべきかね?」
それはあなた次第ですけど、わたしならそうはしないでしょうね。
ごっこ遊びで何かになりたがることと、本当の自分は何なのか、あくまで(insistently)、首尾一貫して(consistently)、持続的に(persistently)言い続けることとは別物です。トランスジェンダーの子供を見分ける指標は3つあり、わたしの娘はそのすべてを示していました。

4. 「そんな小さい子にセックスについて学ばせるのは早すぎる」
そうですね、だからトランスジェンダーであることがセックスと無関係なのはいいことですね!
性自認とは本人が自分の内面をどう知覚するかということであり、誰に魅力を感じるかということとはまったく違います。

5. 「トランスジェンダーの人たちは変態だから、正常な人と同じトイレを使わせるべきではない」
あなたがトイレに何をしに行くのかは知りませんが、うちの娘が何をしに行くのかはわかっています……それは、周りをきょろきょろ見ることではありません。
個室に入り、鍵をかけ、誰にも見られない状態でおしっこすることです。

6. 「神はトランスジェンダーの人々を憎んでいる。彼らは罪人であり、地獄に堕ちる」
わたしの神様は互いに愛し合えと教えましたよ。(引用者中略)神様は外見ではなく、心を見るのです。
わたしの娘の心は女の子で、本人はそのことがわかっています。神様もわかっています。わたしにはそれで十分です。

様々な批判をあっさりと切り返す彼女は自分の子どもの気持ちを理解してあげていて秀逸な回答です。

デビーさんがこのように考えていたらきっと娘さんも励まされるだろうし、この先も支えられるのではないでしょうか。
家族が理解者であることの大切さを感じるスピーチです。
参考URL

20歳、性同一性障害と向き合っていくこと 後編

LGBT当事者もしくはアライによるレポート。今回はトランスジェンダー当事者のレポートの後編です。

前編はこちら

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カミングアウトのタイミング

とても仲の良い友達には高校に入るころくらいから少しずつ伝えてはいましたが、周囲全体に隠さなくなったのは高校3年生の頃です。

カミングアウトを決意したのには、自分の中で治療のことを考え始め、性同一性障害について調べていく中で当事者の啓発活動が大切に感じる節が多々あったからです。

嫌だと思うこと、男子として扱われたいことはあったけど言わなかったことが私を苦しめていました。

でも、周囲からしたら伝えなければそんなことはわからないですよね。カミングアウトすることはとても怖かったし、勇気のいる行為でした。

幸いなのか、周囲の友達やバイト仲間に偏見や差別のある人は少なく、バイト先では通称名の使用許可していただけて、少し気持ちが軽くなりました。
両親とは、ぶつかる時期もありましたが、時間をかけてお互いの気持ちを理解し、お互いに受け入れて過ごすことができています。
なので、今現在カミングアウトをしてオープンに生きていることに後悔はしていません。

社会に求めること

20年の人生の中で、必要に思ったことはカミングアウトのしやすい環境です。自分の想いを伝えられるかどうかでその人の人生は大きく変化すると思います。

私自身、オープンにしてからはとても楽になったし、劣等感を感じなくなりました。
カミングアウト前まではなんでこんな風に生まれてきたんだとかマイナスなことばかり考えていました。
ですが、カミングアウト後からはこの障害あっての今の自分なんだと思えるようになったし、だからこそできることに取り組もうと前を向けるようになりました。

今は、ブログを通して当事者や友人に思っていることや治療内容を伝えより理解を深めてもらえるように努力しています。
この先まだまだ問題はあると思いますが、一歩ずつ着実にセクシャルマイノリティが当たり前に認められる社会になればよいと思います。

20歳、性同一性障害と向き合っていくこと 前編

LGBT当事者もしくはアライによるレポート。今回はトランスジェンダー当事者のレポートです。

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私は、性同一性障害者(FTM)です。
現在は大学に通っており、バイトをしたり遊んだりごく普通の大学生活を送っています。ですがやはり常日頃から考えていること、興味のあることはジェンダー関連、特に性同一性障害の問題についてです。

私の性自認

私は物心がついたころから性別へ違和感を持っていました。

なんで自分は女の子なのだろうか、男の子として過ごすことは許されないのだろうか毎日考えていました。

女の子として過ごすことで嫌な思いをたくさんしてきました。制服のスカートや赤いランドル、女子トイレや女子更衣室の使用、男女の席順わけ、さん・ちゃんで呼ばれること、両親など周囲の人から言われる「女の子なんだから~」と女の子らしい振る舞いを求められることなど挙げたらきりがありません。

好きになるのは女の子で、男の子として好きになってほしい、男として扱われたいと日々思っていました。
思うところはたくさんありましたが、きっとおかしいことなんだ、誰かに言っていいことではないんだと何となく思っていたので、誰かにカミングアウトすることもなく、我慢の日々を繰り返していました。

性同一性障害は第二次性徴期が一番辛い

第二次性徴期は、大体10~16歳ごろ(個人差有)です。

身体の性差が表れ始め、性への関心が高まり、男女間でお互いの性を意識しだす頃になります。
そして生殖機能、つまり生理が発現する時期です。心とは裏腹にだんだんと女性的な体つきになっていくことがとてもつらかったです。
胸の発達・初潮など死にたくなるほど嫌でした。

男子とはどんどん体格差が広がり、比べてしまうことで羨ましさと屈辱感が生まれました。カミングアウトすることも出来なかったので、全て心の中に留めることでより辛かったんだろうなと今では思います。

後編へつづく

生田斗真がトランスジェンダーの女性を演じる話題の映画来春公開

LGBT当事者もしくはアライによるレポートシリーズ。今回は話題の映画です。

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LGBT当事者が登場する映画作品は数多くありますが、2017年にもまたひとつ、話題の映画が公開されます。

それが、映画「彼らが本気で編むときは、」です。

母親と二人で暮らしていた、愛を知らない孤独な少女トモ。
しかし、母親が家を出てしまい、ひとりぼっちになってしまいます。

そんなトモが頼ったのは叔父であるマキオ(桐谷健太)でした。

マキオは心優しいトランスジェンダーの女性、リンコ(生田斗真)という恋人と共に暮らしています。

そこにトモが加わり、3人での生活が始まります。

それぞれの幸せをみつけるまでの60日間を描いた心温まるストーリーです。

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リンコを演じるのは生田斗真

主演は、演技力が高く評価されている生田斗真さん。

インタビューでは、「こんなに難しい役はない」と語っています。
生田斗真さんの周りには以前からLGBT当事者がおり、身近な存在だったといいます。

リンコを演じるにあたり、知人のトランスジェンダーの方などに話を聞き役作りをしていったそうです。

LGBT当事者との会話や、映画撮影を通じ、LGBT当事者が自分らしく生きるためにはまだまだ課題もあることを感じたと語っています。

また、この作品を通して、「いろんな愛の形を伝えたい」とも話しています。

LGBTの理解が広まるきっかけに

公開は2017年2月25日。

人気俳優である、生田斗真さん、桐谷健太さんの主演であることから、話題の映画になるのではないでしょうか。
この作品を通して、LGBTへの理解が広まっていくことを願います。

私自身も純粋に、この映画に魅力を感じました。公開が待ちどおしいですね。

参照
「彼らが本気で編むときは、」
http://kareamu.com/

ミス・トランスジェンダーを決める大会、ジャカルタで秘密裏に開催

LGBTに対してネガティブなイスラム強硬派が多い、インドネシアのジャカルタで、ミス・トランスジェンダーを決める大会が秘密裏に開催されました。

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イスラム強硬派に大会を知られてしまった場合、暴力などの危険性があるため、大会関係者や参加者は、秘密裏に準備を進め当日を迎えました。

大会主催者であるナンシー・イスカンダールは次のように語っています。

「イスラム強硬派化にこのイベントがあることを事前に知られれば、私たちは攻撃される可能性がありました。だから私たちは最後まで秘密にしておきました」

大会当日は、約200人が会場を埋め、34人のトランスジェンダーが美しさあふれる、エネルギッシュなショーを行いました。

今大会の優勝者であるキエナブ・タッピーは、28歳のジャカルタの代表です。
彼女は下記のようにコメントしています。

「私はとても嬉しいです。泣きたいぐらい嬉しいです。

今夜はワリア(トランスジェンダーを意味するインドネシア語)としての権利に対する私の闘いの始まりです。

私は、社会で受け入れられ、評価され理解され、他のインドネシア人と平等になることを望んでいます。
私はそれを達成するため一生懸命働くつもりです」

この大会が開催されたことは、インドネシアにおけるトランスジェンダーや、セクシュアルマイノリティの人々に勇気を与えたようです。

性別適合手術と仕事の並行は可能か?

LGBT当事者もしくはアライによるレポート。今回は、性別適合手術です。

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性同一性障害の人で、性別適合手術を行うことを考えている人が多くいると思います。
そのために仕事やアルバイトに励んでいる方も大勢いると思います。実際に私もその一人です。ですが、仕事をしながら治療や手術をスムーズに行えるのでしょうか。

性別適合手術とは?~行うまでの道のり~

性別の不一致、性同一性障害を抱える者に対し、当事者の心の性に合わせて外科的手法により形態を変更する内外性器に関する手術療法のことです。

戸籍上の性別を変更するためには必ず性別適合手術が必要となります。では、この性別適合手術を行うまでの流れについてご存知でしょうか?

初めに、精神科(ジェンダー科)へ受診し、精神的カウンセリングを行います。
二名の精神科医の診断の後(通常、診断が出るまで半年以上かかる)、身体検査・染色体検査・ホルモン値の検査を行い、身体的に健常であるか検査を行います。

二名の精神科医に性同一性障害であると診断を貰い、身体的に健常であると分かると、性別変更判定会議にかけられその後の治療へ進めるか医師たちによる話し合いが行われます。

許可が下り次第、ホルモン療法を始めることができます。ホルモン療法を一年以上行うと、性別適合手術を行えるようになります。(GID治療のガイドラインに基づく)

性別適合手術は、人によってどこまで手術を行うのか段階があると思います。
今回はFTMの方を参照にしていきます。FTMの方の場合、性別変更を行うために必要とされる手術は、子宮・卵巣摘出手術です。さらに乳腺摘出手術を先、または同時に行う方が多いですね。

タイと日本の費用と期間の違い

仕事をしてくる人に大きく関わっていることは休暇しなければならない期間です。正社員ともなると中々長期的に休みをもらうことは難しいですよね。

乳腺摘出と子宮・卵巣摘出手術を同時に行う場合、そして日本で行うか、手術の症例も多く性別適合手術に関して有名であるタイで行うのか2タイプの比較を行いました。

日本
約126万円
入院期間は1週間

タイ
約60万円
入院期間、その後の滞在期間を含めて2週間

日本とタイで、それぞれメリット、デメリットがあるので人それぞれ自分の生活スタイルに合わせて選択を行うのがベストです。

日本で行う場合、病院によっては一泊だけで帰宅できる病院もあります。
費用は高いですが、仕事がなかなか休めず、すぐに復帰したい方には良いのかもしれません。

タイの場合、費用は安く済みます(航空費、宿泊費別途かかります)が、一週間程度の入院+抜糸するまではタイに滞在しなければなりません。時間のある人ではないと中々難しいでしょう。

また、どちらで行うにしても術後、運動制限が一か月ほどあることも忘れてはいけません。

身体を使う仕事の場合、休暇がとれるか会社側と話し合う必要があります。会社側へカミングアウトをすることも必要になってくると思うので、慎重に考えなければいけない問題です。

「トランスジェンダーとして生きる」トランスジェンダー当事者によるレポート

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LGBT当事者もしくはアライによる「セクシュアリティ」に関するレポートを紹介するシリーズ。
今回のテーマは、トランスジェンダーです。

 

私は、トランスジェンダーです。
カウンセリングも受けておらず、未治癒ですが、自分自身ではトランスジェンダーだと確信しています。

小学校時代から自分の性別に違和感を覚え、スカートなどの女性らしい服装がとても嫌いでした。
兄や弟のように男の子の服装を好み、一人称も「俺」、髪も短く、祖母からは「もっと女らしくしなさい」と言われ続けました。

中学に入学すると女子の制服を着なければならず、どうして自分の望む格好をしてはいけないんだろうと、とても疑問に思いました。
また、自分の身体に第二次性徴が訪れ、胸が大きくなることや生理が来ることに苦痛を覚えました。
どうして自分は女なんだろう、男に生まれたかったと何度も思いました。

高校に入学すると、好きな人ができました。
同じ部活の女の子でした。意を決して告白すると、「同性で付き合うなんておかしい。無理だ」と言われました。

今までは、自分は少し人と違うだけで別におかしくないと思っていたのですが、その一言で「自分はおかしいんだ」「変なんだ」と自覚しました。
それ以来は、自分が女性を好きなこと、男性として生活したいことを隠して生きていこうと思いました。
自分を偽り、友達や家族に嘘をつき続ける事は苦痛でした。

大学に入学し、1年目は大学の寮で生活することになりました。
初めての共同生活に加え、周りは全員女性。お風呂も共同で、不安でいっぱいでした。

しかし、一緒に生活する中で友人ができ、私の話を親身になって聞いてくれる友人にカミングアウトしたいと思うようになりました。
私が男として生きたいこと、恋愛対象が女性で、彼女がいることをカミングアウトしました。

友人は驚いていましたが、受け入れてくれました。
友人の「あなたはそのままでいいんだよ」という言葉に励まされ、とても気持ちが楽になりました。

今まで、自分の性に対し違和感を覚え、自分を偽ることに苦しんできました。しかし、受け入れてくれる人、応援してくれている人もたくさんいることが分かり、自分らしく生きてもいいんだと思えるようになりました。
受け入れてくれて、そのままでいいと言ってくれた友人には感謝しています。

20歳の誕生日を機に両親にカミングアウトすることを決心し、
「俺は女性として生きていくことはできない。男として生きたい。だから成人式もスーツで出たい」
と、成人式1か月前に両親にカミングアウトしました。

両親は驚いていたものの、「自分の好きなように生きなさい」と受け入れてくれました。

まだまだ、自分の身体への違和感、周りからの差別や理解が得られないなど問題は多くありますが、たった1人の声でもLGBT当事者は救われると思います。

現在、私はより多くの人にLGBTについて知ってもらいたいと思い、大学のセクシュアルマイノリティサークルで活動をしています。
偏見は無知から始まるという考えから、LGBTとは何かを知ってもらえるよう文化祭での展示やワークショップを行っています。

いつか、LGBTという言葉が世界からなくなり、セクシュアリティに関わらず1人1人が尊重される世の中になればと心から願っています。

私自身もトランスジェンダーであることに引け目を感じず、胸を張って生きていきたいと思っています。