LGBTを学ぶことで気づいたこと

LGBT当事者orアライによるレポート。今回はLGBTを学ぶことで気づいたことです。

私は留学していたオーストラリアで、セクシュアルマイノリティ(ゲイ)である中国人と友達になった。
私は彼との出会いによってセックス、ジェンダー、セクシュアルマイノリティに興味を持つようになった。

留学する前から、西欧には日本に比べてカミングアウトしている人が多いということはなんとなく知っていた。
しかしセクシュアルマイノリティの人と友達になるのは初めてで、LGBTについての知識が自分には全然足りないと感じるようになった。その当時私はまだ専攻をはっきりとは決めていなかったため、LGBTについてもっと知識を深めたいと思いジェンダースタディーズを専攻することを決めた。

ジェンダースタディーズの授業で学ぶことは多かった。
まず、ジェンダーとセックスの違いだ。
私は性についてそれまで深く考えたことがなかったため、セックスは生物学上の性であること、ジェンダーは文化・社会的性であることにまず驚いた。

日本にはここまではっきりとこの2つの違いを説明できる言葉はないのではないかと思った。
この2つの違いはとても大きく、特にセクシュアルマイノリティの人にはとても大切なことである。それなのに日本語には「性別」という単語にセックスとジェンダーどちらの意味も含まれていることに違和感を覚えた。

また、授業を受けていく上で「普通・標準」を意味する「norm」という単語を頻繁に耳にした。
セクシュアルマイノリティは社会でnormとして認識されていないことが問題視されている、といった話題でよく使われていた。

私も、ジェンダーについて学ぶ前は、自分は女だから恋愛対象は男であると思っていた。
しかし、社会のnormに縛られてそう思い込んでいるだけなのかもしれない、と考えるようになった。今も自分のセクシュアリティについては考えている最中だ。

性ついて何が普通で何が普通でないかを決めているのはマジョリティだ。
マイノリティにとっての「普通」は、マジョリティにとっては「普通ではない」。それが要因となってマイノリティは生きにくくなっている。

働くということに関しても、マイノリティにとって困難はたくさんある。
セクシュアリティは人間のアイデンティティを形成する大きな要素のひとつだ。しかし、現在は自分のセクシュアリティを話すことを躊躇う人も多いため、どこか本来の自分を隠しながら働かなくてはいけない人も多い。

このような現状を変えていくためにも、もっともっと理解者が増え、お互いを尊重し合える社会になっていけばいいと思う。