個性としてのLGBTを考える

LGBT当事者orアライによるレポート。今回は個性としてのLGBTを考えるです。

LGBTを尊重しようという動きが大きくなる中で、「LGBTであることはその人の大切な個性の1つだから」という声があります。
今回は、「LGBTであること」は個性なのか、について考えます。

個性とは

個性という単語を辞書で引くと、「ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。」(大辞林 第三版より)と出てきます。
他人とその人が区別される一つの性質を表すというイメージかと思います。

LGBにとって

個性という認識を、LGBTの中でも性的指向に関わるLGBと性自認に関わるTに大きく分けて考えてみます。

性的指向の部分でセクシュアルマイノリティである場合、恋愛の面以外においてはストレートの人となんら変わりはありません。
つまり、恋愛においてその人は個性を持っているということです。

LGBの中にも、誰にも言えずにクローゼットで生活している人もいれば、フルオープンな人もいるように、個性として前向きに捉えているかは人それぞれですが、私は、それは個性の1つだと思います。
ストレートの人の中でも、どんな異性がタイプか、という部分は個性であると言えるのではないでしょうか。
また性的指向のマイノリティの中には、ノンセクシュアルやアセクシュアルも含まれますが、それも個性だと思います。しかし恋愛し、性行為をするのが当たり前のようになっている社会では、個性ですと前向きに捉えることは難しいかもしれません。

Tにとって

トランスジェンダーにとって自分がトランスジェンダーであるということは、前向きに捉えることは難しいかもしれません。
MtFとFtM、もしくはそれに近いXジェンダーの人にとっては、生まれる性別が自認する性別であったとしたら、悩みは多くなかったでしょう。
トランスジェンダーであったからこそ、たくさんの交友が持てた、というようないい面はあるかと思います。
しかし、MtFは女性として、FtMは男性として、他の多数と同じように生きることを望む人が多いです。その場合はトランスジェンダーを個性として持ち続けるのを望むことはないでしょう。

その個性をどうするのかは自由

LGBTであることは、多くのストレートとその人が異なっている部分ですから、個性と言って間違いないかと思います。
しかし個性という言葉は、「個性を大切にしよう」「個性を磨いて、活かしていこう」など、オープンに、ポジティブに捉えていきましょう、というような文脈で使われることが多いです。
私はその必要は必ずしもないかと思います。
他のストレートの人と同じように生活すること、いわゆる埋没を望むトランスジェンダーの人は、個性だからとおおっぴらにすることはないでしょうし、その他のセクシュアリティの人でも、それをどうするかはその人次第です。
「個性なんだからもっとアピールしていこうよ」と言われることもありますが、その人が望むように、生きるのが一番ですね。