LGBT当事者もしくはアライによる「セクシュアリティ」に関するレポートを紹介するシリーズ。
今回は、「同性愛が病気か」というテーマのレポートです。
前編はこちら「同性愛は病気なの?前編」
自然主義的誤謬
大切なのが「自然主義的誤謬」という哲学の領域における考え方です。たとえば著名なオランダ人動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールはその著書『利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか』(草思社)の中で次のように述べています。
自然から倫理規範を引き出そうとするのは,とても危険なことだ。
生物学者は物事の成り立ちを説明したり、場合によっては人間の性質を詳しく分析するかもしれないが、行動の典型的な形や頻度(「正常」かどうかを統計的な意味で判断する)と、行動の評価(道徳的な判断)のあいだには、確かな関連性などないのである。
自然から何らかの規範を引き出そうとする試みは、「自然主義的誤信」(引用者注:「自然主義的誤謬」のこと)と呼ばれており、いまにはじまった話ではない。
物事の状態を表す「である」を、物事のあるべき姿を表す「であるべきだ」に移しかえることは不可能なのだ。
『利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか』(草思社)
フランス・ドゥ・ヴァール著
pp.69-70
同性愛と生物学
このような考え方は18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームもその著書『人間本性論』の中で言及していますし,社会学者マックス・ヴェーバーの「価値自由」の考え方にも通じるものです。
確かに今のところ同性愛男性に特有の脳の解剖学的・神経学的特徴は特定されていません。
たとえば,異性愛男性・女性・同性愛男性の間で性差があるとしてS. LeVayにより報告され注目された脳部位として視床下部間質核(INAH:interstitial nucleus of the anterior hypothalamus)の中のINAH3という組織がありましたが、その後W. Byneらによって行われた追試では統計的に有意な差は確認されず、現在に至るまで追試もなかなかあがっていないのが現状です。
しかしながら、こうした生物学的研究の現状をもって同性愛が病気ではないとするのは、同性愛男性に特有の解剖学的・神経学的特徴が見つかったとき再び同性愛が病気だと見なされる危険性を残してしまうことでもあります。
大切なのは何か同性愛男性に特異的な解剖学的特徴が仮にあったとしても、それをもって同性愛が病気であるとか異常であるという結論が必然的に導き出されるかのように考えるのは誤りであるということです。
また、双生児法をその基本的方法論に据える行動遺伝学の研究によって、性的指向の決定に遺伝的要因が関与していることは既に示されていますが、この事実によって同性愛の正常/異常を決定することも同様にできません。(この遺伝子があれば100%ゲイになる,という遺伝子が存在するという意味ではありません。)
そしてこれは同時に同性愛を擁護する際にも注意しなければならないことです。
たとえば時折見かける議論として、動物など自然界でも同性愛は多く存在しているのだから同性愛は異常ではない、というものがあります。
実際、確かに「同性愛」行為はピグミーチンパンジー(ボノボ)やヒツジなど多くの動物で確認されていますが、だからといってその事実によって同性愛は「正常」である、という結論を導くことはできません。
「自然主義的誤謬」を犯しているという点では同じなのです。
先に引用したドゥ・ヴァールの文章にも述べられている通り、ある行動や形質が「正常」か「異常」かを定める倫理的規範が自然から必然的に導き出されることは決してありません。
しかし、こうした「自然主義的誤謬」を犯している議論は、同性愛に肯定的なものも否定的なものも含め世の中にたくさん流布しています。
みなさんも同性愛に関する議論を目にしたとき、それが「自然主義的誤謬を犯していないか」という観点から眺めてみてはいかがでしょうか。