変化する日本の同性愛

LGBT当事者orアライによるレポート。今回は変化する日本の同性愛です。

同性愛の歴史

明治以前の日本ではLGBTという言葉はもちろんありません。そのような概念もありませんでした。
しかし「同性愛」については現在よりも割合が高く、世間でも寛容であり、特に男と男が愛し合うことは異常なことではありませんでした。平安時代では親戚同士になった貴族が肉体関係になることは日常的のことでした。また、寺のお坊さんは女性との性的な関係が禁じられていたため10歳前後の男の子が対象となりました。戦国時代には織田信長や武田信玄などもそうだったと言われています。さらに江戸時代では「愛の交流会」と呼ばれるものが流行り、一般武士や町人のレベルまで広がりました。これは「男色」と呼ばれており、主に年上の男が年下の少年を愛するという行為のことです。宗教的にも日本で同性愛に対する規制も特になく、平然と受け入れられていました。

同性愛の禁止

しかし江戸幕府が倒れ明治維新が起こると、西洋文化が流入し、キリスト教の教えの影響で「同性愛禁止」の考えが徐々に日本でも広まっていき、「同性愛」を異常なものとみなすようになりました。
明治13年(1880年)には男色行為の一部が刑事罰の対象とされていた時期もありました。そのような規制は一時的なものではあったものの、そのような異性間の恋愛を尊重する風潮が続いており、現在でも世界の主流の考え方であります。その後、1990年代に入ると医学的にLGBTは障害ではなく、いかなる意味でも治療の対象にはならないと宣言しており、まだまだ一般的ではないものの2000年代に入ると芸能人がカミングアウトするなどの影響もあり、同性愛者への理解が進むようになりました。

まとめ

以上のように同性愛に関しては時代の流れが進むにつれて偏見が厳しくなってきました。つまり日本の文化でもあった「男色」が「良いこと」から「悪いこと」へと変化していったのです。このような事例からも日本という国は価値観が変わりやすい国民であり、流行に流されやすい国民だと思います。そのため今のこのLGBTに対する理解も早く進む潜在的な力もあると思います。時代に逆行して、「男色」を復活させ流行させるのではなく、「LGBTを理解する」という新しい価値観を広めていくことの大切さを感じます。

LGBTであるということをどう受け止めるか

LGBT当事者orアライによるレポート。今回は、LGBTであるということをどう受け止めるかです。

LGBTであるということを、1つの個性として前向きにとらえている人がいます。
その一方で、自身がLGBTに生まれた、またはなったことを恨む人もいます。

今回はLGBTである、ということをどう捉えるか、ということに関して書きたいと思います。

前向きに捉える

「ゲイに生まれてよかった」「FtMに生まれてよかった」などと思っている人がいます。
ストレートの人は「ストレートに生まれてよかった」とは思わないかと思います。(「LGBTに生まれなくてよかった」とは思うかもしれません)
LGBTであるということで、そうでなければ得られない何かを得た時に、LGBTでよかったと感じられると思います。
たとえばそれは、一生のパートナーが見つかったときかもしれませんし、当事者同士のコミュニティで素晴らしい体験ができたときかもしれません。

私自身は、LGBTという概念に出会い、自認したからこそジェンダーやセクシュアリティに対する興味をもったので、その点では、LGBTでよかったと思います。
セクシュアリティに関係なく、交友の輪が広がったことはとてもよかったと思います。
もちろん、辛いこともありますが、この自分が自分に生まれたということは変えられない事実であるので、変に落ち込んだり恨んでも仕方ないかな、と思います。

後ろ向きに捉える

そうは言っても、辛いことはあるかと思います。
性自認、性的指向どちらに関しても、なかなかストレートの人にとっては理解をしてもらえないことが多いです。
差別的なことを言われることもあるかもしれません。
日本人は特に同調圧力が強いですから、人と違う、ということが知られてしまったときに批判されることは多くあります。
特に家族や友人など親しい人に批判されると、居場所がなくなったように感じて辛いこともあるかもしれません。

最後に

人間である以上、他の人と全く同じということはあり得ません。
周りと異なっている点が必ずあります。
それを隠すか、ありのまま隠さずにいるかはその人次第です。
LGBTであるということは、他の特性に比べて目立ちやすいかもしれません。
私は、ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、もっと一人ひとりが、お互いの違いを認め合い尊重しあうことが必要だと思います。
LGBTであるということは、いいことでも悪いことでもないと思います。
それとどう向き合うか、ということを意識すれば、明るく生きていけるのではないでしょうか。