LGBT当事者orアライによるレポート。今回は“伝説のおかま”と呼ばれた人についてです。
最近日常生活の中でLGBTというワードを耳にする機会が増えてきたと思います。
それは、社会全体がLGBTを少しずつ、受け入れている証拠でもあります。私たちもこのようなメディアを運営していますが、10年、20年前に同じことをしても、続けていけたかどうかわかりません。今回の記事では、今からずっと昔にLGBTの擁護を訴えた一人の男性を紹介します。
“伝説のおかま”
彼の名前は東郷健、1932年兵庫県で生まれました。2012年に他界されています。ゲイ雑誌編集やゲイバーを経営するほか、政治活動も活発に行っていました。
今でこそテレビなどのメディアでいわゆる“おかま”と称される方を見かける機会は多くなりましたが、40年以上前に、彼は自らをおかまと名乗っていました。おかまという言葉自体は江戸時代に誕生したと言われていますが、彼が蔑称であったこの語を自ら用いたことで、世間に広く認知されたようです。
政治活動について
彼は選挙戦に数回、立候補しています。
その中で彼は候補者としての認知度をあげるために「おかまの東郷健です。」という文句を使っていたのです。
彼の主張は一貫していて、自らも含まれる同性愛者をはじめとして、セクシュアルマイノリティや障がい者、エイズ患者などの、いわゆるマイノリティとして差別を受ける立場の権利向上を訴えていました。
現在、国内の外国人などいわゆるマイノリティに対してどのような態度をとるのか、ということは候補者として重要な要素の1つとなっています。しかし現在でも、彼らへの差別撤廃を第一に掲げる方はほとんどいないのではないでしょうか。
過激であるが故の批判
候補者演説などで過度に性的な発言が多かったこともあり、実際に彼の訴えるマイノリティの中に含まれる方の中でも、批判の声はあったようです。
また、自分自身をおかまと称した上で、ゲイに関する個人的な見解を発言していたため、「ゲイ=おかま(女性的である)」と言った偏見を生んでしまった事実もあります。
確固たる主張を持っていたにもかかわらず、言葉が過激であったためにイロモノ扱いされてしまったのかもしれません。
まとめ
私自身、彼の死後存在を知りましたが、彼について調べてみて、「時代が追い付いていなかったのかな」といった印象を受けました。
性的な発言や彼自身のゲイへの偏見は賛同できるものとは言えませんが、もし現在の日本で彼が立候補していたら、社会に与える印象はまた違っていたのかなと思います。
このような時代に彼に注目してみることで、気づかされることが多くあるかもしれませんね。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%81%A5
http://www.2chopo.com/article/detail?id=329