LGBTの存在が認知され、LGBTは身近な存在であるということが近年理解されるようになってきています。
その一方で、このような懸念も存在しています。
「LGBTの認知度が上がれば、それに対するホモフォビア的迫害も強くなるのではないだろうか」
この問いは、果たして本当に正しいのでしょうか。
ホモフォビアとはなにか
ホモフォビアとは、ギリシア語の「homo-(同じという意味。ホモセクシュアルもこの言葉に由来する)」と「-phobia(恐怖の意味を表す接尾辞)」からきている言葉であり、「同性愛者や同性愛に対する嫌悪感や恐怖」を意味します。
このホモフォビアの根本は、大きく2つあると考えられています。
1つは、宗教的な理由から。
信じている宗教が同性愛を禁じているために、ホモフォビア思想を持つ場合があります。
もう1つは、生理的嫌悪からホモセクシュアルを否定すること。
これは「よく分からないから」などの知識不足からくるもの、「興味があるが、それを認めたくない」という防衛機制からくるもの、「自分が性の対象になることが怖い」といった危機感からくるものがあります。
これらの理由はいずれも根深いもので、簡単には解消できないものだと言えるでしょう。
日本におけるホモフォビア
日本は海外よりも過激なホモフォビアが少ないような印象を受けますが、日本にも、ホモフォビアは存在します。
日本で特によく見られるのが、「無意識の」ホモフォビアです。
・「オカマ」「ホモ」などの表現を使う
・教師や親が子供に「男らしく」「女らしく」と言う、もしくはそのような行動を強いる
etc…
これらは、ホモフォビア的でありながら、ホモセクシュアルやLGBTへの明確な悪意をもってされるものではありません。
このような「ホモフォビアもどき」とも言えるようなものが、多く見られる傾向があるように思われます。
LGBT浸透による、ホモフォビアへの影響
LGBTの存在が世間に広まることで、ホモフォビアへの影響は少なからずあるでしょう。
声を上げることで、潜在的なホモフォビアの人を刺激してしまうのではないかという声も聞かれます。
もちろん、身近にいるLGBTの人々の存在を受け入れられない人もいるかもしれません。
しかし、LGBTの認知度が高まり、理解が深まることで、改善される可能性があるものがあります。
それは、先ほど述べた、「意識されないホモフォビア的文化」です。
例えば、「オカマ」「ホモ」といった言葉がLGBTの人たちを無意識に傷つけてしまう可能性がある、と知れば、改めようとする人々が出てくるでしょう。
LGBTの認知度が高まるということは、決して悪いことではありません。
LGBTとホモフォビアの共存できるところを探していくことも、今後可能になってくると思います。